衣飾人

家紋刺繍・家紋クッション・シルクスクリーンプリント・加工委託|衣飾人

作品ギャラリー➡


 PRで非売品です。

    作品展


 

お買い物上ご注意!

弊社での刺繍、プリント製品は全てご注文生産になっております。

※ HPサイトの構成上  在庫表示が出ますがご注文後の生産になります為ご理解お願い申し上げます。
 納期に関しては少々お時間が掛かる可能性がございますので予めご了承下さいませ。

店長日記

こんにちは!担当の大沢です。
弊社は「1社1技術」の群馬県認定企業です。
 記念に、お祝いに、当社の刺繍、プリント製品はいかがでしょうか。新築祝いや還暦の記念に、家紋刺繍、クッション、額、タペストリーなど、1枚からのご注文も可能です。
世界にひとつだけのオリジナル刺繍やこだわりの家紋プリントをぜひ。
ご要望にお応えいたします。

店長日記はこちら >>

携帯ページ

選りすぐりのショッピング情報サイト Plat Park
HOME»  こだわりのブログ»  家紋から学ぶ

家紋から学ぶ

家紋から学ぶ 店長日記
  • 件 (全件)
  • 1

新聞休刊日

新聞休刊日で前日の新聞を読み直していた所
「松前城」と言う題目で書かれていた記事を拝読しました。
当然、松前城と言うからには 家紋は?と思ってしまうのです。

松前城、松前藩は渡島国津軽藩(現:北海道松前郡松前町)に居所を置いた藩との事。
藩主は江戸時代を通じ松前氏、その後城主となり松前福山城を築き、居城から福山藩とも呼ばれている。

家格は外様大名の1万石、幕末には3万石になり、明治期には館藩と称した。
館藩(たてはん)とは箱館戦争(五稜郭の戦い)で大きな打撃を被り改称した」となっていますが
詳しくは「色字」をご参照下さいませ。

松前氏とは
蠣崎李広(かきざきすえひろ)1507~1595年・蝦夷地方の戦国大名の子・慶広(よしひろ)の代に上洛し
天下平定した豊臣秀吉に拝謁し本領を安堵された。
天正19年(1591)九戸政実の乱にアイヌを動員して参陣。
秀吉の死後は家康に接近し、姓名を松前慶広に改める。
松前の松は「松平の松、前田氏の前」とした蠣崎氏は江戸時代を生き抜いて行く。

米が取れない蝦夷において無石の島主扱いだったが5代・矩広の代には大名に昇格し
幕末には外様大名ながら老中に取り入れられている。
家紋は丸に割り菱

 

2016-04-12 19:55:00

コメント(0)

城山の桜

地元では城山(じょうやま)と言っています「城山の桜」が市街地の桜と同時期に満開になりました。
我が家の台所の窓から撮った写真を今日は載せます。

城山とは桐生城の事で正しくは柄杓山(ひしゃくやま)と言います。
典型的な山城でしたが、隣町(太田市)の由良成繁氏と戦国期(1572)に攻め落とされてしまいました。(桐生助綱)
初代城主は桐生直綱(大炊助・周防守)-家紋は左三つ巴

  

我が家から北へ頂上まで約4km近くあります。
今は石垣も殆どなく城跡の痕跡が見られないのが非常に残念です。
(因みに、滅ぼした方の由良氏の城(新田金山城)も現存はしておりません。

ついでに、今日は前にある県立桐生女子高校の入学式のようでした。

2016-04-08 19:54:10

コメント(0)

関ヶ原合戦の新聞記事

毎日新聞、平成28年4月4日の社会面で天下分け目の関ヶ原の合戦の呼び名は当初「青野ヶ原の合戦」だった?、、、、、。
京都市右京区の陽明文庫に保管されていた「前久書状」と言う古文書に合戦直後の様子が詳細に記され、戦いの場所が
「関ヶ原」でなく「青野ヶ原」と書かれていたことが分かった。・・・との記事を見ました。
合戦直後の一次資料は非常に少なく、専門家にからは当時の状況がわかる一級品の史料だそうです。

前久書状は合戦5日後の慶長5年9月20日に書かれていたもので、徳川家康が江戸城を出発した日時や小早川秀秋の
寝返りなど14項目にわたりかなり正確に記述されていたことが判明した。・・・との事

関ヶ原から東北東約8kmの地点に「青野村」(現:岐阜県大垣市青野町)があり、毛利家一族の吉川広家の自筆書状や
「慶長記略抄」の狂歌にも関ヶ原の戦いが「青野ヶ原」と記載されていると指摘されている。

今日は新聞記事要約でのブログになってしまいました。


 

2016-04-04 18:14:43

コメント(0)

今日は4月1日

五七の桐
年度替わりの4月一日と言う事で、内閣総理大臣の施政方針や所信表明、談話、記者会見、演説など等の時のテーブルをほとんどの人がご覧になったことがあるかと思いますが、そのテーブルの下というか正面上というか、楕円形のブルーの地色の中にある紋が「五七の桐」です。
これは第52代の天皇であった
嵯峨天皇(さがてんのう)延暦5年9月7日(786.10/3)~承和9年7月15日(842.8/24)
    在位・・・・・・・大同4年4月1日(809.5/18)~弘仁14年4月16日(823.5/29)
    によって創案されたようです。

古来より聖天子(最も徳の高い優れた知恵を持った天下を治める人」の意)の時代が来ると、その瑞兆(めでたい、よいこと)として鳳凰(中国神話の伝説の鳥、霊鳥)が現れると伝えられていた。
その鳳凰が桐の木に宿り、竹の実をついばむとされていた。

桐は聖天子の象徴の為、この故事を愛でた天皇が桐花をモチーフにして作ったのが紋章です。

 

2016-04-01 12:30:48

コメント(0)

家紋を調べて行くと

今回HP更新に際し、以前より充実したサイトにしようと心がけました。
「家紋から学ぶ」なんて少し大げさな表現になってしまいましたが
家紋を調べ、関連した武将を調べて行く内にいろいろな事を感じたのです。
毎日とは言えませんが思う事、考えさせられた事など等少しづつ書いて行きたいと思っております。

全ての家紋がそうだ」とは言えませんが
家紋は、古くから日本の伝統ある事柄の一つです。
まずは、シンプルであり。
左右対称になっている柄(紋)が多い事です。
ヨーロッパの幾つかの国ではエンブレム(紋章)として大事にされておりますし、
どの国にも必ず有る」というものでもありません。
世界をリードしているアメリカでも無いのですから。
大事に、誇りにしたいものです。

あなたの好きな家紋ーAKB48
流行り言葉的の表現を借りれば
A・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ART(美術)
K・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・KAMON(家紋)
B・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・BEAUTIFL(美しい)
48・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1万点以上ある「紋」の中には48点位は
        多くの人から素晴らしいと言ってもらえるものがあると思いますが、如何でしょうか?

今日はこれまで!

2016-03-27 18:37:20

コメント(0)

  • 件 (全件)
  • 1